3種類の目線で、ものごとをミテいる人がいる。
①公
②私
③公私
だ。
公の人は、広さ高さ深さ、十分な質の発言をするでしょう。
コメンテーターを見ていると、わかりやすいでしょう。
しかし、何かが足りない。
私の人は、広さ高さ深さ、不十分な質の発言をするでしょう。
客観性のない、わたし、わたしな人。
自分だけを「視す」ぎている。
公私の人は、上の二つの中間です。
広さ高さ深さ、それらを兼ね備えて、
そこに「自分ならどうするか」そういった見方を持っている。
この「自分ならどうするか」が大事です。
コメンテーターで、何かが足りない。
そう感じた人は、おそらく、真相でこう思っているはず。
自分ならどうするか、がない。
自分ごとじゃない発言だ。
つまり「公」に寄りすぎている。
ものごとから引いて「観す」ぎいる。
一方、
逆に反感を買ってでも、ズバッと発言する人には、しっかりと「私」が入っている。
それが「公私」であり、ちょうどいい距離で「看て」いる。
ぼくは、つねにこの「公私」
公の目線を大事にしながら、そこに私の目線も入れることを心がけています。
キーワードは、
「私なら〜こうする。」
「私は〜こうしている。」
です。
公私を大事にしていきましょう。
ーSW_0009_519w24m_200628
公で観る人、私で視る人、公私で看る人

コメントを残す