「才能ある人羨ましい…」
「才能は自分はないな…」
という方はその発言自体が一種
才能という正体を明らかにしているのかもしれません。
才能とは、
他人のは気づくが
自分のは気づきにくいもの。
だから
才能は自分で探さない。
そう考えると楽になりませんか?
才能がなくて悩んでいる、
才能を探しているが見つからない。
そういった暗い気持ちが
少しでも明るい方向へ行けばと思い
ここに書きます。
「才能は他人に見つけてもらう。」
この考えで進んでいってみましょう。
私はどうかというと、
同じように嘆いていたし
見つけようとしていたのです。
中学生はサッカー部でした。
ポジションが同じ先輩がいて、
ボールが彼に回れば、ポンポンと人に回していく。
近くにあいてがいたら、
彼は奪われにくい方向に反転したり
意図してあいてを動かして
楽なポジションを確保する。
一方、
私は足元しか見れず、
周りのあいて選手の位置が分からない。
反転すると相手選手がいたり、
惑わそうとして、
自分が混乱してボールを奪われる。
この差はなんなのか…才能か。くぅ。
なぜにあんな周りが観れるのか。
不思議で仕方がなかったのです。
さて、
日が立ち大人になり、少しづつこの才能はなんだろうと明らかになります。
ネットラジオの仕事をし始め、
ベテランの仕事人と関わることが増えました。
わたしは20代
周りは40〜50代です。
先輩方にはITのことを聞かれていました。
基本から応用まで、
パスワード管理から、
HPの作り方、アンケートの作り方などです。。
この時によく言われていたのが次の一言でした。
「今までITの指導を受けてきた。
でも大地くんほど、丁寧で分かりやすい、
かゆいところに手が届く説明は初めてだ。」
今のコンサルタントの仕事でも、
お客さんからいただく声も近しいです。
しかし、
意識は多少なりはしているが、
決して丁寧でもないという自分の認識です。
当たり前、普通なのです
ここがポイントと考えます。
自分は当たり前
相手は当たり前じゃない。
まとめると
・才能は自分の当たり前である。
・当たり前なことは意識しにくい。
・意識しにくいのは分からない。
・でも自分以外の人は見えている。
この状況を意識することです。
だから、
才能は見つけにくいので自分で探さない。
まわりの声に傾けていくことが重要です。
あなたへの感謝や喜びの声があった時、
「いや…普通だよ、こんなこと。」
「誰でもできるでしょう。」
そう感じたことをまずは思い出してみましょう。
もしくは今から耳を傾けていきましょう。
才能のタネになっていますよ、きっと。
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